あきゅらいず

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社会への取り組み

被災地ボランティアレポート(1)

[活動報告,社会への取り組み] 2011年06月10日
ゴールデンウィークの被災地ボランティアについて
商品部 今井 乃理子


ゴールデンウィークを利用して、
何かお手伝いができないかと思い、
福島県南相馬市に行ってきました。

ボランティアを通して一番感じたことは、
南相馬市は、
地震・津波の被害だけでなく、原発の問題に非常に苦しんでいるということです。
ボランティアセンターの方が、
私たちは、「地震・津波・原発・風評の4重苦です。」とおっしゃっていたのが
胸に刺さりました。

ボランティア2日目、
あるお家の、泥出しとお掃除をさせていただきました。

そのお宅は、1メートルくらいの床上浸水だったそうです。
家の中に、数センチの泥がつもり、
家具や、押入れの中のお布団や衣類、写真は泥だらけでした。
畳や家具がたくさんダメになってしまったそうです。

私が伺ったときには、畳や家具など、津波でだめになったものは全部外に出されており、
だいぶ片付いている状態でした。
奥様と、息子さんとの3名で片付けたそうです。
とても驚きました。
「疲れちゃって・・・」とおっしゃっていました。

大きな農家で、とても広いお宅でした。
「こんなお家初めてみたでしょう?」とおっしゃっていました。
このあたりは農業地帯で、農家が多く、
みんなとても大きく、立派な家が建っていたそうです。

しかし、津波で流され、ほとんどお家は残っていません。
「あのあたりに、80軒お家があったんだよ。」
と、指差し教えてくださったのですが、全然ピンときません。

集落は3分の2が壊滅状態で、
神社も流れてしまったそうです。
大切な人をたくさんなくした、とおっしゃっていました。
50メートル先のお家では一家全員が帰らぬ人となったそうです。

お家のお父さんによると、
津波は、三陸の方がテレビで取り上げられているのと同じ様子で
とても大きかったそうです。

南相馬市は、原発の影響でメディアの取材もあまり入らず、
ゴールデンウィーク前まで「屋内退避」の指示が出ていたため、
ボランティアも支援の手もあまり届かなかったそうです。

そのため、 取り残されたような気がして、辛かった、とおっしゃっていました。

「屋内退避」の指示がとけてからは
少しずつボランティアがきて、
少しずつ、ガレキが片付けられて、
見捨てられていたわけではないなあと嬉しくなったそうです。

近所づきあいが密接な地域でしたが、
地域は津波で流され、生き残った人も、原発から避難して、
集落は散り散りになってしまったとのことです。

地域を元に戻したい、
それには、ばらばらに避難している集落を、戻さないといけない。
そして、地域の収入源である農業を立て直さないといけない。
しかし、原発の影響や風評は、困ったものだ。
とおっしゃっていました。

お家の方も、
お孫さんと、息子さんの奥様は県内に避難しているそうです。

お手伝いをしている間に、社協の方がいらっしゃいましたが、
そこの親戚の方も、何名か亡くなったとおっしゃっていました。

明るく振舞っていますが、
誰もが、震災の悲しい影響を受けていました。

とてもキレイに咲いていた、菜の花が印象的でした。
菜の花は、本当は花が咲く前に収穫し、食卓に上がる予定でしたが、
原発の影響で収穫できなかったそうです。

年金暮らしの方が多く、
家の建て替えも難しいとおっしゃっていました。

ボランティアは迷惑、と、
一部で報道されたりもしていましたが、
こちらが恐縮してしまうほど感謝されました。

まだまだ、
継続的にお手伝いできる部分があると感じましたので、
できることを、積極的に行っていきたいと思います。