東日本大震災に関するお知らせ

◇被災地ボランティアレポート(2)

2011年06月10日(金) 18:15更新

宮城県岩沼市へのボランティア報告
経営管理部 松倉 みすず


【現状】
私がボランティアに行ったのは、仙台市から電車で25分ほど南下した岩沼市から徒歩10分ほどの所にある、岩沼市災害ボランティアセンターでした。

往路は新幹線で向かったのですが、仙台に着くまでの間に屋根の瓦が欠けていたり、ブルーシートでそれを覆っているお宅を沢山目にしました。
「雨が降ったら、雨漏りしてしまうなぁ・・・」
と思いつつ、新幹線からだとそれ以外には被災の爪痕を見つけられなかったため、恐らくこの辺り(地震による被災地域)はさほど心配せずとも問題ないのだと思いました。

それから、仙台駅でJRに乗り換えて岩沼に向かいました。改札を出たのが9:30頃ということもあり、丁度災害ボランティアの方々が活動し始めた時でした。ボランティアセンターへ向かおうと海の方へ歩き始めると、すぐに潮の香りを感じました。この時は、海まで遠くは無いのかな?と安易に考えていたのですが、この潮の香りは津波による粉塵が空気中に漂っているということなのだとあとから気付きました。

さらに、復興の進捗度も市区町村の規模によって比例していたようにも感じました。石巻市のように、災害後非常に早い段階から復旧への体制づくりが整った地域は、その後も効率的に復興へ進んでいるかと思います。また、主要有料道路が再開したことで飲食店やスーパーも営業することができるようになり、物資が不足する心配はないとのことでした。また、同じように支援物資の到着件数も増え、現在は備蓄倉庫で保管しきれないほどとの声も聞きました。

我儘を言うと、ボランティアのほとんどが30歳以上の方たちなので、もう少し若者の力が欲しいなと思いました。

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【岩沼市付近の市町村】
●仙台市
仙台駅経由で岩沼市へ向かったのですが、仙台市内(駅周辺)は少し雰囲気が暗いと感じるだけで、被災したことをあまり感じませんでした。瓦が崩れているお宅もちらほらしていたのですが、駅周辺はほどんどが20歳前後の若者が6割ほどを占めていたのですが、お洒落をした人・がっつりとパンクロックなメイクをした男性などもいたのでそれはど心配しなくともと思いました。

●名取市
比較的大きい自治体なので、復興体制が整っているとのことでした。そのため、GW中は地元の方たちのみの作業を望んでいるとのことでした。(マックドライブスルーの高さが5mほどの廻る看板も稼働していました。)

●亘理(わたり)市
※岩沼市から電車とバスを乗り継ぎ50分ほど(仙台から高速バスで85分)の距離なのですが、始発に乗っても9時半以降に現地へ到着することになってしまうため、前日の夜までに現地入りしないといけない地域です。
こちらは、ボランティアが不足しているとのことでした。要因としては、JRや市バスなどの公共交通機関が復旧していない・もしくは縮小運行のため、現地に行きにくいことが考えられます。実際、現地のボランティアは関西や西日本・埼玉・神奈川からの方が多く、混雑や移動距離などを考慮され高速バスや新幹線に乗ってきたという方がほとんどだったために交通の便が良くない地域は人手が足りていなかったようです。
亘理市も午前中の受付時間(8:30~9:00)を過ぎても、午前中の作業を募集しているようでした。

【岩沼市でのボランティア】
岩沼市災害ボランティアセンターは、
・仙台駅から通える
・最寄駅から徒歩圏内(15分)
・テント村や駐車場(車中泊可)もある
ので環境的に整っているようで、非常に多くのボランティアが訪れていました。
作業は、午前と午後各2時間に分かれていたため、自分の体調と相談して無理せず活動することができました。4~5日など長期間滞在するのであれば、このシステムは非常に助かります。

また、GW期間中は毎日400~500名ほどの人々が午前中の作業を求めて、早朝5時ころから列を作っていました。受付は8時半からとなりますが、受付やマッチングなどに大変時間が掛かるためボランティアセンターを出発したのは、10時を過ぎていました。

現場での作業は主に個人宅や畑などの泥掻き出しでした。"泥"といっても現場々によってその質が全く異なり、混在物によっては角スコップ・剣先スコップ・フォーク・トンボなど道具を変えていかなければなりませんでした。また、泥の種類も粘土質のように粘り気があるもの、渇ききっていて軽いけれども非常に硬いもの、肥料や油などが混ざって数時間触れてしまうと肌が被れてしまったりするものもあれば、藁が混ざっていて掻き出しにくいものなど様々でした。その他にも、田んぼや畑に流れ着いた木材や家具などの運び出しなども行うとなると、どのくらいの人数でどれくらいの期間が必要になるのだろうと怖くなってしまいました。

【岩沼市の津波】
災害ボランティアセンターの近く(500mほど)に東北道があります。津波はそこで止まったようです。そこは海から5kmほどの距離になるのに、50cmほどの水が来ていました。もし東北道が無ければ、おそらく災害ボランティアセンターのあった場所も被害に合っていました。だから、ボランティアセンター周辺の住宅街は、今も人が住んでいないような暗い雰囲気のままなのかもしれません。
泥かきをするお宅へ向かう道中はカメラで撮影することを許されていたので、何枚か撮ってみました。根ごと流された街路樹程の木や、直径70~80cmほどの大木、車などもおもちゃのように転がっていました。流された家もありました。私はあれだけのものを、だれが、どれくらいの月日を掛けて片付けるのだろうと疑問に思ったのですが、すぐに怖くなってしまって考えることを放棄しました。道路の脇には、畑や住宅から出た泥や瓦礫などのゴミが積み上げられていました。これらを運搬することが、現在自衛隊の主な作業となっているようです。
2日目にトマトハウスの泥かきをしたのですが、午前中に25名+午後から応援の25名を追加派遣しても最後まで作業を終えることができませんでした。あきゅの業務スペースほどの広さを、たった3~4cmの固まった泥を掻き出すだけの作業なのにです。ハウス内には配管等があるため、人の力でのみ可能な作業なのですが、2ヵ月経った泥を除去するのは想像以上に困難な作業でした。

今回、私が目にしたのは被害のほんの一部でしかありません。
ですが、
・常に人手不足であること
・現場に行けば、必ず何かお手伝いできることがあること
・どんな状況にあっても頑張ろうとする人たちがいること
・まだまだ、どんな形でも手伝ってくれる方々を求められていること
などを強く感じました。

私は、これからも被災地へ赴き、復興への道のりを被災者の方々やボランティアの皆さま方とともに歩んでいきます。
この想いが、ひとりでも多くの方々へ届きますように・・・

◇被災地ボランティアレポート(1)

2011年06月10日(金) 18:00更新

ゴールデンウィークの被災地ボランティアについて
商品部 今井 乃理子


ゴールデンウィークを利用して、
何かお手伝いができないかと思い、
福島県南相馬市に行ってきました。

ボランティアを通して一番感じたことは、
南相馬市は、
地震・津波の被害だけでなく、原発の問題に非常に苦しんでいるということです。
ボランティアセンターの方が、
私たちは、「地震・津波・原発・風評の4重苦です。」とおっしゃっていたのが
胸に刺さりました。

ボランティア2日目、
あるお家の、泥出しとお掃除をさせていただきました。

そのお宅は、1メートルくらいの床上浸水だったそうです。
家の中に、数センチの泥がつもり、
家具や、押入れの中のお布団や衣類、写真は泥だらけでした。
畳や家具がたくさんダメになってしまったそうです。

私が伺ったときには、畳や家具など、津波でだめになったものは全部外に出されており、
だいぶ片付いている状態でした。
奥様と、息子さんとの3名で片付けたそうです。
とても驚きました。
「疲れちゃって・・・」とおっしゃっていました。

大きな農家で、とても広いお宅でした。
「こんなお家初めてみたでしょう?」とおっしゃっていました。
このあたりは農業地帯で、農家が多く、
みんなとても大きく、立派な家が建っていたそうです。

しかし、津波で流され、ほとんどお家は残っていません。
「あのあたりに、80軒お家があったんだよ。」
と、指差し教えてくださったのですが、全然ピンときません。

集落は3分の2が壊滅状態で、
神社も流れてしまったそうです。
大切な人をたくさんなくした、とおっしゃっていました。
50メートル先のお家では一家全員が帰らぬ人となったそうです。

お家のお父さんによると、
津波は、三陸の方がテレビで取り上げられているのと同じ様子で
とても大きかったそうです。

南相馬市は、原発の影響でメディアの取材もあまり入らず、
ゴールデンウィーク前まで「屋内退避」の指示が出ていたため、
ボランティアも支援の手もあまり届かなかったそうです。

そのため、 取り残されたような気がして、辛かった、とおっしゃっていました。

「屋内退避」の指示がとけてからは
少しずつボランティアがきて、
少しずつ、ガレキが片付けられて、
見捨てられていたわけではないなあと嬉しくなったそうです。

近所づきあいが密接な地域でしたが、
地域は津波で流され、生き残った人も、原発から避難して、
集落は散り散りになってしまったとのことです。

地域を元に戻したい、
それには、ばらばらに避難している集落を、戻さないといけない。
そして、地域の収入源である農業を立て直さないといけない。
しかし、原発の影響や風評は、困ったものだ。
とおっしゃっていました。

お家の方も、
お孫さんと、息子さんの奥様は県内に避難しているそうです。

お手伝いをしている間に、社協の方がいらっしゃいましたが、
そこの親戚の方も、何名か亡くなったとおっしゃっていました。

明るく振舞っていますが、
誰もが、震災の悲しい影響を受けていました。

とてもキレイに咲いていた、菜の花が印象的でした。
菜の花は、本当は花が咲く前に収穫し、食卓に上がる予定でしたが、
原発の影響で収穫できなかったそうです。

年金暮らしの方が多く、
家の建て替えも難しいとおっしゃっていました。

ボランティアは迷惑、と、
一部で報道されたりもしていましたが、
こちらが恐縮してしまうほど感謝されました。

まだまだ、
継続的にお手伝いできる部分があると感じましたので、
できることを、積極的に行っていきたいと思います。

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